生きづらい世の中だと思った記録

最近、やばいなーと思ったら、自分のことが見えてきた。あとになって忘れないように記録する。そんなブログ。

向いてないと言われても、生き方を知らない

世の中生きづらい向けの本で、無理に会社勤めする必要はない、あなたには実は才能がある、というのは常套句だろう。
そうですか、ありがとうございます。なんて人がいるかね。
いきなり人生バラ色になんてなりやしない。でも、信じるものしか救われない、宝くじは買った人にしか当たらない、分かっちゃいるのよ。
それでもサラリーマンとしてしか生き方を知らない人は多くいるし、自分以外の人の理解も必要。
そこの労力を考えると、リターンの精査が必要に思える。
これまでの人生を否定する勇気は、本一冊では得られない。

HSPについて思いを馳せる

世の中、発達障害ブームだ。
そんな流れの1つだと思うHSP

自分のこの生きづらさもそうなのかと思う。知らんけど。
少なくともそう理解すると、安心する。このあとの人生が少し明るくなる。それでいいのかもしれない。
ただ、調べてみると色んな人が私も、僕も、と言っていて、そこには違和感がある。自分が違うのか、世の中にはほんとにひどい人がいるのか。
怒られてる人を見て、なんてかわいそうなんだ、共感してしまう、なんて冷静に見られることはない。ただただ、胸と頭の奥の方がザワザワするだけ。
言語化できれば、処理できるだろって考える質だからか、これが1番気持ち悪い。
人に意見を言えないのもそうで、当事者にとっては何となく言えない。その時は。
どうしてと言われても仕方ない。何となくだから。

この何となくってのが厄介だなーと思う。習慣なのか、気質なのか。
自分の頭の中で、2、3回クルクルと回ると、頭がフリーズする。そして、何も出来なくなる。

もう大人なんだから、甘えないで。
そう思われても仕方ない。ただ、やはりこの思考パターンは抜くのが難しい。別の思考法で上書きするしかないのだろう。考えの根本にあるのは、形のない何となく、だから。