生きづらい世の中だと思った記録

最近、やばいなーと思ったら、自分のことが見えてきた。あとになって忘れないように記録する。そんなブログ。

人の人生を転売する

流行の歌がある。

それすらも煩わしい。ニュースを最近見なくなったのは、人の意見を聞きたくなくなったから。考えてみれば、コメンテータの意見のどこにも事実は存在しない。ただの感想であり、糞の役にもたたない。音楽にしてもそう。流行ってる曲がどうした?流行ってる曲は素晴らしいのか?全然響かない曲ばかりなのだけど、どうしたらいいの。関係ないけど、今の歌ってラノベっぽい気がする。空想の世界のお話。

話題になった人について、とにかくコメントをするのが最近のトレンドなのかな。逆張りしても、順張りしても、コメントした側にはプラスしかない。誰一人、核心に迫るようなことは言わない。挙句の果てに怒ったような、もしくは馬鹿にしたようなコメントをすることがある。本当に理由が不明で、見てる方は不愉快な気持ちになるばかりである。さぞ気持ちがいいのだろう。仕事や教育のように明確に上下がある場所以外で、そんな偉そうなことは言うべきではない。

実際、世の中にイライラをまき散らして、なんの意味があるのだろうか。見てもらえるということでお金がもらえるから、みんなやるのだろうか。結局、それは人の人生を食い物にしているだけのような気がする。世の中は何もよくならない。

欺瞞に満ちた社会という表現がしっくりくる。本当に「満ちて」いるというのが、しっくりくる。

 

とにかく本当に嫌い。

昔に戻りたい

コロナ前に戻りたい人はたくさんいると思う。
昔は良かった。活気もあったし、オリンピックへのワクワクも比較できないほどだった。

僕は昔から過去への執着が大きい。大学の頃は高校時代を、社会人になってからは高校時代をという具合である。言ってしまえば、たらればだし、ただの美化かもしれない。ただ、そこには確実に自分の後悔と自分の欲しいものが存在する。
どうして当時は気づかなかったのか。失って初めて気付くとは言うが、僕には学習能力が無いみたいだ。手抜きをした人生の結果は過去への執着と現在の空虚さである。未来を期待するには今が暗すぎる。

そうは言っても、今日も仕事だ。本当に時間に追われるという感覚がわかった。
色んな人にありがとうを伝えたい。

再発と再燃

仕事中、もやもやがひどくて休みながらやることが多い。不意な過呼吸、動機と孤独感に苛まれる。

今年の4月、心の風邪をひいた。当時は働きながら治すために、産業医の先生から診断を受けた訳ではないけど、適応障害からうつへ進行している途中だった。

落ち着いてから振り返ってみると、とても怖い時期だった。検索履歴が失踪だったり、自〇だったりとおかしくなっていたことは間違いない。終わらない仕事を振られて、関係者から催促され、上司からはヘルプがほとんどない。徐々にすり減ったメンタルに、家庭環境の変化が重なって、訳が分からなくなった。

平日は朝から涙が出るし、夜は寝られない、ご飯も食べられない。それでも産まれたばかりの娘と妻のため、家でつらい顔はできない。実際は、在宅だったから、書斎以外では笑って過ごしてた。職場の人から電話が来ると、自然と涙が出た。大丈夫?と声をかけられると、マイクをミュートにして泣いていた。

そんな時期から比べると、かなり良くなった。それでも心にしこりが出来ている気はする。撃たれ弱くなり、何か自分はこんな人間だっただろうかと考えてしまう。

完治した後は「再発」、完治する前だと「再燃」と言葉は違うらしい。感覚的には、まだ「再燃」の域だと思うが、早く完治させて自由になりたい。

つらさの正体

しばらく前に仕事でメンタルを病んだ。
目の前が真っ暗になって、何かに追われている気持ちが常にする。めちゃくちゃ怖かった。何をしていいのかも分からない。追い込まれると、人の話も読んでるメールも理解ができない。
息も苦しく、動悸もする、混乱してきて涙が出る。でも、家族に心配かけるわけにもいかないので、ひとり車の中で泣いていた。

とにかく誰かに褒めてほしかった。頑張ったねって言って欲しかった。自己肯定感が低い人が追い込まれるていくのは、たしかに分かった気がする。
追い込まれたとき、寂しさが一番つらい。惨めさとか色んな気持ちが襲ってくるけど、一番は孤独感。無価値な自分はいない方が、いいんだろうと思ってしまう。

良くなってきたし、人はなるべく褒めようと思った。

好き勝手言いやがって

過激な題名にしてみた。
ニュース見ると、朝からイライラする。素人が思いつくような事を、行政が検討してないと思ってるところがイラッとくる。できない理由も考えてみろと言いたい。
総理の原則自宅療養発言は、確かによく分からん。この人、医者だったっけとは思った。ただ、コメンテーターも政府にキレる前にコロナの感染力ににビビれよ。こうなったのは、政府云々よりも我々の行動の結果だろうに。政府叩くよりも感染力の凄さをアピールした方が、人流の抑制は抑えられる。テレビの仕事ってなんだ。誰も幸せにできないコメントするだけなら、チラシの裏に書いて、尻でも拭いて流してしまいたい。

ミニ四駆と電撃イライラ棒

ミニ四駆って真っ直ぐしか進まないけど、コースの壁に当たって、ローラー使って曲がっていく。
昔、テレビ番組にあった電撃イライラ棒は、壁に当たったら、爆発してゲームオーバーになってしまう。
どっちがゴールに早く辿り着けるかといえば、間違いなく前者。
壁の考え方は少し違うけど、きっと人の生き方もそうだろうな。プレイヤーはとにかく全力で走る、それを壁役の人たちが正しい方向に戻してやる。壁に当たるという間違いを繰り返しながらもゴールへたどり着く。
しかし、今の自分の性格はどちらかといえばイライラ棒だ。間違いを犯さないように、壁に向かいそうになったら、止まってどうするか考える。進まない。進まなければ当たることもない。
ミニ四駆人間にトランスフォームしたい。